Chez Smile Blog

 〜すみれの不育症克服プロジェクト〜
 はじめてこのサイトを立ち上げてから10年
 まだまだご覧になられる方も多くいらっしゃるようですので、
 blog版に順次移行を図っていこうと思っています。

 
これも、 今だから言えること
育児のさなかのこまぎれの時間をつなぎあわせては、
家の中のことをやったり、パソコンをいじったり、
書物をめくったりしているわけですが、
最近、すごく共感する話に出会ったのでちょっと紹介します。
吉本ばななのお父さんの弁なのですが・・・


 自分の精神がどうやって成長してきたか考えてみると、
どうも別れから成長してきた気がします。
 (中略) 
もちろん本を読んだとか、誰かと話して、誰かとつきあって・・・
いろいろあるわけです。
ただいつまでも残っていていちばんまとまった印象があるのは、
別れが強いと思います。
死別もあり、生別もあり、失恋もあり、いさかいもありですが、
そんな別れのときの感じ方で、自分の精神上の年輪を増やしていった、
というのがいちばん印象に残っている。
なぜ、それでも出会いを求めるのかはわからないんだけど、
別離とか死から、失ったものと得たものと、どっちが多いんだといったら、
失ったものも多いけども、得たもののほうがもっと多い。
その余りがずっと残って、悲しみの感じとして、
年輪になる気が僕はしますね。
(吉本隆明「僕ならこう考える」より)


 精神の成長とかっていうと、何ともおもはゆい感じはするものの、
絶対的な喪失感のなかから得るもの
それって、目には見えないけどやっぱり大きいと感じます。
といっても、私の年表なんか32年分しかないわけで、
そのなかで経験した別れなんて、幸か不幸か片手で数えられるくらいです。
もちろんそのうちのふたつは、
形にすらならなかった小さな命との別れです。

どんな別れであっても、それは悲しいし、つらいし、やりきれないし、
もう嫌だ!とすべてを投げ出したくなるものだけど、
いったん涙と一緒に心を空っぽにして、そのからっぽなとこに、
気持ちいいもの、気を奮い立たせてくれるもの、和らげてくれるもの・・・
などなど、ひとつずつ、少しずつ詰めていくと、
それが満たされてくる頃には、心が掃き清められたような気になるものです。
積もり積もったほこりや塵も、心をひっくり返したと同時に一掃されてね。

いつもより少しだけ貪欲になって、
その心の空洞に何やら詰め込んでいく「ポジティブな過程」・・・
それって、すごく大切だと思います。
 まぁ、これも今だから言えることだけどね。

 
| chezsmile | 出産後 | 00:24 | comments(2) | - |
私の宝
2月7日は菫の1ヶ月健診でした。
2598gと小さく生まれた菫でしたが、
4034gと体重も順調に増え、特に異常も見当たらないようで、
まずはほっとひと安心です。
母乳で育てようとしている人なら誰しもそうだと思うのですが、
赤ちゃんの成長がおっぱいの出具合のひとつのバロメーターになるわけで、
体重の変動は非常に気になるところです。
子宮の中にいる時は、バファリンとヘパリンを命綱に
「順調に育ってくれますように」と祈るばかりの他力本願でした。
別の言い方をすれば、
生命誕生の神秘と医学的サポートに頼ることができたわけで、
精神的には今よりずっとラクでした(^_^;)。
ところが子宮を離れた赤ちゃんの成長は、
突然、不慣れな「ダンナと私」にゆだねられるわけで、
その責任たるや、生涯最大のものです。
親としての自覚・・・なんて生易しいものじゃありません。
そんなわけで、感慨深く過去を振り返ったのは、菫が生まれたその日限りで、
次の日からはひたすら前を向いて進むのみ!という感じです。
時に気が挫けそうにもなりますが、
菫を胸に抱くまでの2年あまりの歳月が私を支えていると思います。

きっと今だから言えることですが、
この2年間で私が得たもの、そう・・・
さまざまな人との出会い、私自身の内的変化、そして菫。
それは何ものにもかえがたい「私の宝」です。
「転んでもたたでは起きない」を信条に
頑張ってきてほんとによかった、と素直に思います。
ほんとの頑張りはきっとこれからなのでしょうが、
どんな困難にであっても、試練は宝をつかむチャンス!
そう思って乗り切ってゆけたら・・・と思います。


| chezsmile | 出産後 | 00:23 | comments(0) | - |
ゴールはあらたなスタート
1998年2月に一度目の流産を経験してからというもの、
私の何よりの願いは「月満ちて元気な赤ちゃんを産むこと」でした。
そのことが私にとってひとつのゴールでもあり、
生まれたその先のことなど、考える余裕はありませんでした。
というより、万一を想定し、
敢えて考えないようにしていたのかもしれません。
不育症を克服し元気な我が子を胸に抱ければ、
不安からパッと解き放たれる・・・なんて思っていたのです。
でも、現実はそうでもないのですね。
我が子への愛情の裏返しで「菫に何かあったら・・・」なんて、
心配で心配で仕方ないんですから・・・

生後2日目の朝、こんなことがありました。
「小児科のドクターから赤ちゃんのことでお話があります。」
何の前触れもなく、新生児室に呼ばれました。
病室と目と鼻の先にあるその部屋に行くまで、
不吉なことが次々と頭に浮かんでは消え、
胸の鼓動は高まるは、血の気はひくはで、生きた心地がしませんでした。
ドクター曰く、
「舌に白いもの着いているので診たところ、鵞口蒼だとわかりました。
小児科の方で治療をしますので、諸々手続きの方を・・・」とのことでした。
はじめて聞く病名におろおろしている私に、治療内容と合わせ
赤ちゃんがこの病気にかかるのはそう珍しいことではなく、
治療も長くはかからないだろう、
と説明がありました。
とんでもなく重い病気の告知をも想像していた私は、
その一言に気が緩んだのでしょうか、
不覚にもその場で泣いてしまいました。
あぁ、自己嫌悪・・・
ダンナに掻き集めてもらった鵞口蒼の資料を読んで
はじめて冷静さを取り戻した私。
こんなことですっかり気が動転してしまった自分がほんとに情けなく、
先行きの不安を早くも実感してしまいました。

ゴールテープを切ったと思ったのもつかの間、
どうやらこれからが本レース、あらたなスタートのようです


| chezsmile | 出産後 | 00:22 | comments(4) | - |

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