Chez Smile Blog

 〜すみれの不育症克服プロジェクト〜
 はじめてこのサイトを立ち上げてから10年
 まだまだご覧になられる方も多くいらっしゃるようですので、
 blog版に順次移行を図っていこうと思っています。

 
プロローグ
2000. 1. 6 1:42am 
菫(すみれ)が誕生しました。

〜すみれの不育症克服プロジェクト〜として
このHPを開設したのは、1999年3月1日のこと。
あれから10ヶ月あまりが経ち、
私のもとに待望の赤ちゃんがやってきました。
これも多くの人の支えや励ましなくしては
とても成し得なかった事と思います。

東海大学病院の不育外来を訪れたのが1998年10月末。
以来、主治医である杉 俊隆先生はじめ
産婦人科スタッフの方々には 本当にお世話になりました。

そして、 いつも支え合ってきた病院仲間、
折々に激励メールをくださった方々、
静かに見守ってくれた友人に
ココロより感謝します。

泣き言やわがままをいつも受け止めてくれたダンナ、
温かく見守ってくれた両親にも
この場を借りて、「どうもありがとう」。

さて、このHPの今後の展開ですが、
HPをオープンした時の気持ちをあたためながら
少しずつ更新していきたいと思っています。
時々、のぞいてみてくださいね。

2000. 1. 26 Smile記
| chezsmile | メッセージ | 14:11 | comments(0) | - |
Smile's profile 
Smile(スミレ)というハンドルネームは、
「どんな時もスマイルを忘れないように」という気持ちと
春に咲く大好きなスミレの花からきています。
結局、娘にまで名付けてしまいました(^o^)。

1967年夏生まれ。神奈川県、海の近くに住んでいます。

ただいま産休中の身。
2001年2月15日付で退職しました。よって家人です。

人の手でひとつひとつ丁寧に作られたモノが好きです。

最近、私が最近はまっているのが、
×××××××&-------------?
クロスステッチと子供服づくり。
菫の夏のワンピースはほとんど手作りです。
不器用を自認する私。
それでも気長にやれば何とか仕上がる。
先生要らずの趣味。
積み上げられた本が私の師匠です。

2000年1月6日、ありがたくも菫を授かり
Smileの不育症克服プロジェクト#1は終了しましたが
 不育症に関する情報については、できる範囲で
紹介し続けていくつもりです。
ときどき覗いてみてくださいね。

また不育症と言っても、その原因と治療法は人さまざま。
「もっとこういう部分を充実させてほしい」等々
ご要望があれば、是非お聞かせください。
今後のHPづくりの参考にさせて頂きたいと思います。

| chezsmile | メッセージ | 00:30 | comments(0) | - |
やさしさの秘密
ご近所に菫とお誕生が数ヶ月しか違わない女の子がいて、
親子で仲良くさせてもらっています。

菫がハイハイをはじめた頃からのお付き合いで、
週に1度タウンセンターに出かけたり、
お宅にお邪魔させてもらったりしているのですが、
そのママ・・・育児のドタバタの中でもいつも穏やかで、
笑顔がやさしくて、まさに癒し系なんですよね。

一緒にいると肩の力がぬけるっていうか・・・
不思議な包容力のあるひとです。

そんな彼女とひょんなことから二人目についての話になり、
私が自身の不育症の治療のことにふれると、
「実は私にも持病があって、1人目の子を死産しているのよ・・・」
と話してくれました。

彼女は10代後半から膠原病を患っていて
今も薬が手放せない状況にあるとのことでした。

その病気の影響で最初の子どもを亡くされ、
2度目の妊娠はアスピリンとプレドニンを服用しての出産だったそうです。

出産後の今も検査の数値が安定せず、
母子共に危険を背負うことになる第2子出産については
その実、相当に悩んでいるようでした。

そばで元気に走り回る我が子を見て
「あの子が無事に生まれてきたのは、ほんとに奇跡なんだよね・・・」
微笑みながらさらりと言いました。

その一言がいつまでも耳から離れません。
その言葉にどれだけの想いが託されているかと思うと、
胸が苦しくなります。

そして、はじめて彼女の大きなやさしさの秘密を知るのです。
| chezsmile | すみれと、Smile | 00:29 | comments(0) | - |
仕事辞めました。
2001年2月15日をもって会社を辞めました。
3月半ばに育児休暇明けで復帰する予定でしたが
菫の今をそばで見ていたい・・・
その気持ちを抑えることができませんでした。
すべては自分自身のためです。

いろいろ欲はありますし、
白髪が顔を出すほど(^_^;)悩みましたけど
自分で選んだ道
後悔はありません。

職を失いましたが、「すべきこと」は目の前にあるので
さみしさは感じません。

経済的なゆとりはなくなりますが、
自分のために時間を使える・・・という
もうひとつの贅沢を手にしました。

さて、どの道を歩こう・・・
幼い頃、野や山を駆っての秘密基地探しが大好きでした。
あの頃のワクワクドキドキを久しぶりに感じています。

「菫、今日も明日も一緒がいいね。」

| chezsmile | すみれと、Smile | 00:28 | comments(0) | - |
「育児は育自なのだ」 
其の壱
〜菫の1歳の誕生日に寄せて〜


朝、ベットの上で目覚めてダンナと歌いました。

Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday Dear すみれ
Happy birthday to you
「すみれ、おたんじょうびおめでとう!」
(パチパチパチパチパチ)

菫は歌の間中うれしそうに首を左右に揺らし
歌い終わると私たちと一緒にその小さな手を合わせました。
(パチパチパチパチパチ)

そのとびきりの笑顔に眠気をさらわれた朝でした。

ついつい「育児は大変だ」と口にしてしまいます。
育児を「お世話」と考えていた頃はとりわけそうでした。
三度の食事、着替え、排泄、入浴、就寝・・・
次から次へと片付けるべきことがあり
自分のことが何ひとつ手につかない
イライラ・・・・・
時に私に差し伸べた両手を振り払ったこともありました。
自分の時間が欲しくてテレビに子守りをさせたこともありました。

ある午後、テレビをつけるのをやめ、夕食までの数時間
菫とじっくり遊んでみました。
そんなことが1週間続きました。
歌ったり、絵本をめくったり、ぬいぐるみのワンワンと遊んだり・・・
求められるままに同じことを繰り返す。
非常にゆるやかな時間の流れのなかで
菫と気持ちが通いあったような気がしました。

きっとSmileやぎが菫やぎの手紙を読まずに食べていたのね。

その時から「お世話をする」という感覚は失せていきました。
一緒にご飯をおいしく食べる
一緒に服を選び着替える
一緒に健康的な排泄を喜ぶ
一緒に身体をきれいにする
一緒に眠る
気持ちひとつで、すごく楽になりました。
そこにいつも屈託のない笑顔があれば
それでシアワセなのです。


| chezsmile | すみれと、Smile | 00:27 | comments(0) | - |
今日のこの気持ち 2000年6月3日
ど〜っぷりと専業主婦生活にはまっているこのところの私。
退屈で仕方ないんじゃないかしら?
なんていう当初の心配はどっかに飛んでっちゃった感じです。
会社勤めとはまた違った喜びや楽しみが見出せるものですね。
家族のために?!(大いに自分のためでもあるけれど)
お洗濯物にとびきり上等の朝陽を当てたり、
旬の食材を求めてごはんを作ったり、
少しずつ家の中を整えてみたり・・・
そんなささやかな努力の上に成り立つ穏やかな生活は
私の精神や肉体に、よい作用を及ぼしています。
このところのフットワークの軽さにも、我ながら驚きです。
これも、菫誕生後の小さな内的変化かな。
深謝。

○○株式会社御中
産休をいただいている身でありながら、
仕事にも、職場にも思いを馳せないクールな私をお許しください。

2度目の流産のあと・・・
「もう一度こんなことになったら、もう子どもはあきらめよう・・・
あんな思いを繰り返すなんて、もう真っ平御免!
幸い、仕事も持っているし、また違った生き方もできるはず。
子を持つことに行過ぎた執着はしたくない・・」
なんて実は思っていたのです。
振り返ると、自分が可愛いくって仕方なかったんですね。
身体やココロが傷つくこと(痛むこと?)を
極端なほどに恐れていたのです。

でも・・・菫を授かって、毎日一緒に過ごしてみて
「あきらめなくてよかった〜」
とココロの底から感じています。
奢った言い方になっちゃうけど
おっぱいを必死に飲んでいる菫を間近に見ていると
あのくらいの自己犠牲とあなたの生命誕生とを
両天秤にかけたママを許してね〜
という気持ちになります。
多分、これから先・・・育児に疲れて
う〜んと落ち込んだり、ヤケを起こしたりするようなこと
たっくさんあると思うけど
そんな時、原点にふっと立ち戻れるように
今日のこの気持ちをここに記しておきますね。


| chezsmile | すみれと、Smile | 00:26 | comments(0) | - |
三人一緒にHappy!
かなり前に私の病院仲間を紹介したことがありました。
覚えていらっしゃいますか?
3人のつきあいは一昨年の秋までさかのぼります。
ともに流産のキズ生々しく、先行き不透明・・・といった頃でした。
いろいろと情報交換をするうちに同じ病院に通うことになり
時に会して励ましあう等、いい関係がずっと続いています。

1999年の9月、バファリン隊の姉御がでっかい男児を出産。
それに続く2000年1月、ヘパリン様さま、菫が誕生。
そして、この春、4月25日。
心やさしい彼女のもとにも元気な男の子がやってきました。
うらやましいくらいの超安産でした。
彼女は3たびの流産を繰り返しましたが
これといった原因が見つからなかったことから
リンパ球移殖を受けての妊娠、今回の出産でした。

それぞれに治療は違えども、願いはひとつ。
「いつか子連れで会えるといいよね」
そう、何度言い合ったことでしょう。
こんなに早く現実のものになろうとは・・・嬉しい誤算であります。
ほんとに HAPPY! Happy! happy!
こんな「Happy」がいろんなところで生まれますように。

| chezsmile | すみれと、Smile | 00:25 | comments(0) | - |
これも、 今だから言えること
育児のさなかのこまぎれの時間をつなぎあわせては、
家の中のことをやったり、パソコンをいじったり、
書物をめくったりしているわけですが、
最近、すごく共感する話に出会ったのでちょっと紹介します。
吉本ばななのお父さんの弁なのですが・・・


 自分の精神がどうやって成長してきたか考えてみると、
どうも別れから成長してきた気がします。
 (中略) 
もちろん本を読んだとか、誰かと話して、誰かとつきあって・・・
いろいろあるわけです。
ただいつまでも残っていていちばんまとまった印象があるのは、
別れが強いと思います。
死別もあり、生別もあり、失恋もあり、いさかいもありですが、
そんな別れのときの感じ方で、自分の精神上の年輪を増やしていった、
というのがいちばん印象に残っている。
なぜ、それでも出会いを求めるのかはわからないんだけど、
別離とか死から、失ったものと得たものと、どっちが多いんだといったら、
失ったものも多いけども、得たもののほうがもっと多い。
その余りがずっと残って、悲しみの感じとして、
年輪になる気が僕はしますね。
(吉本隆明「僕ならこう考える」より)


 精神の成長とかっていうと、何ともおもはゆい感じはするものの、
絶対的な喪失感のなかから得るもの
それって、目には見えないけどやっぱり大きいと感じます。
といっても、私の年表なんか32年分しかないわけで、
そのなかで経験した別れなんて、幸か不幸か片手で数えられるくらいです。
もちろんそのうちのふたつは、
形にすらならなかった小さな命との別れです。

どんな別れであっても、それは悲しいし、つらいし、やりきれないし、
もう嫌だ!とすべてを投げ出したくなるものだけど、
いったん涙と一緒に心を空っぽにして、そのからっぽなとこに、
気持ちいいもの、気を奮い立たせてくれるもの、和らげてくれるもの・・・
などなど、ひとつずつ、少しずつ詰めていくと、
それが満たされてくる頃には、心が掃き清められたような気になるものです。
積もり積もったほこりや塵も、心をひっくり返したと同時に一掃されてね。

いつもより少しだけ貪欲になって、
その心の空洞に何やら詰め込んでいく「ポジティブな過程」・・・
それって、すごく大切だと思います。
 まぁ、これも今だから言えることだけどね。

 
| chezsmile | 出産後 | 00:24 | comments(0) | - |
私の宝
2月7日は菫の1ヶ月健診でした。
2598gと小さく生まれた菫でしたが、
4034gと体重も順調に増え、特に異常も見当たらないようで、
まずはほっとひと安心です。
母乳で育てようとしている人なら誰しもそうだと思うのですが、
赤ちゃんの成長がおっぱいの出具合のひとつのバロメーターになるわけで、
体重の変動は非常に気になるところです。
子宮の中にいる時は、バファリンとヘパリンを命綱に
「順調に育ってくれますように」と祈るばかりの他力本願でした。
別の言い方をすれば、
生命誕生の神秘と医学的サポートに頼ることができたわけで、
精神的には今よりずっとラクでした(^_^;)。
ところが子宮を離れた赤ちゃんの成長は、
突然、不慣れな「ダンナと私」にゆだねられるわけで、
その責任たるや、生涯最大のものです。
親としての自覚・・・なんて生易しいものじゃありません。
そんなわけで、感慨深く過去を振り返ったのは、菫が生まれたその日限りで、
次の日からはひたすら前を向いて進むのみ!という感じです。
時に気が挫けそうにもなりますが、
菫を胸に抱くまでの2年あまりの歳月が私を支えていると思います。

きっと今だから言えることですが、
この2年間で私が得たもの、そう・・・
さまざまな人との出会い、私自身の内的変化、そして菫。
それは何ものにもかえがたい「私の宝」です。
「転んでもたたでは起きない」を信条に
頑張ってきてほんとによかった、と素直に思います。
ほんとの頑張りはきっとこれからなのでしょうが、
どんな困難にであっても、試練は宝をつかむチャンス!
そう思って乗り切ってゆけたら・・・と思います。


| chezsmile | 出産後 | 00:23 | comments(0) | - |
ゴールはあらたなスタート
1998年2月に一度目の流産を経験してからというもの、
私の何よりの願いは「月満ちて元気な赤ちゃんを産むこと」でした。
そのことが私にとってひとつのゴールでもあり、
生まれたその先のことなど、考える余裕はありませんでした。
というより、万一を想定し、
敢えて考えないようにしていたのかもしれません。
不育症を克服し元気な我が子を胸に抱ければ、
不安からパッと解き放たれる・・・なんて思っていたのです。
でも、現実はそうでもないのですね。
我が子への愛情の裏返しで「菫に何かあったら・・・」なんて、
心配で心配で仕方ないんですから・・・

生後2日目の朝、こんなことがありました。
「小児科のドクターから赤ちゃんのことでお話があります。」
何の前触れもなく、新生児室に呼ばれました。
病室と目と鼻の先にあるその部屋に行くまで、
不吉なことが次々と頭に浮かんでは消え、
胸の鼓動は高まるは、血の気はひくはで、生きた心地がしませんでした。
ドクター曰く、
「舌に白いもの着いているので診たところ、鵞口蒼だとわかりました。
小児科の方で治療をしますので、諸々手続きの方を・・・」とのことでした。
はじめて聞く病名におろおろしている私に、治療内容と合わせ
赤ちゃんがこの病気にかかるのはそう珍しいことではなく、
治療も長くはかからないだろう、
と説明がありました。
とんでもなく重い病気の告知をも想像していた私は、
その一言に気が緩んだのでしょうか、
不覚にもその場で泣いてしまいました。
あぁ、自己嫌悪・・・
ダンナに掻き集めてもらった鵞口蒼の資料を読んで
はじめて冷静さを取り戻した私。
こんなことですっかり気が動転してしまった自分がほんとに情けなく、
先行きの不安を早くも実感してしまいました。

ゴールテープを切ったと思ったのもつかの間、
どうやらこれからが本レース、あらたなスタートのようです


| chezsmile | 出産後 | 00:22 | comments(0) | - |
どう思います? ―流産、その心のケア―

流産。
「妊娠すれば子は自然と育っていくもの」と思っていた私にとって、
それはまさに青天の霹靂でした。
流産はTVドラマの中だけでの不幸な出来事に過ぎず、
私には無関係なこと・・・との認識でいたからです。
医師からは全妊娠の10〜15%は流産となります・・・と
説明を受けたものの
その数字の現実感の無さに 、全く実感が伴いませんでした。

妊娠することを「オメデタ」と言います
確かにそれは「おめでたいこと」です。
しかし、その喜びのなかで涙を流す人を見るたびに
この「オメデタ」という言葉に違和感を覚えずにはいられません。
その言葉のもつ絶対性のうちに、「流産」という不幸な出来事は
個人に、夫婦に、家族に与えられた試練として、
ひそかに封印されています。

流産を 「自然淘汰」と考えることで、ある部分は整理がつきます。
ただ育ちつつあったひとつの命をうしなった喪失感と
子宮内除去術等で感じるやりきれなさは、
多分、経験したものにしかわからない種の感情で
時間だけでは解決がつかない深い問題です。

多くの人はその穴を次の妊娠で埋めようと思うことでしょう。
私もそうでした。
次の妊娠がうまくいけば心の整理がつくはずでした。

そして2度目の流産。
穴はますます深く大きくなり、私達にはとても抱えきれなくなりました。
そして同じような経験をされている人を、
信頼できるドクターを求めました。
結果的には、無理をして抱え込まなかったことが
効を奏したと思っています。
精神・身体両面でのサポートを受け、
前向きな気持ちを持つことができました。

最近、「流産後の心のケア」の必要性についてよく考えます。
最終的には個々人が乗り越えていくべき問題ではありますが、
その過程においてサポートを必要とする人は少なくないでしょう。
民間レベルで行えること、病院でのケア、ステージは
いろいろあると思います。
病院においても不育学級などなどさまざまな試みがなされています。

不育症の啓蒙、情報提供を考えていく上でも避けては通れない問題です。
みなさんはどうお考えですか?
患者、医師、臨床心理士、病院経営者・・・
それぞれの立場でいろいろな考え方があると思います。
私自身、いつも悶々と考えているテーマです。

| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:21 | comments(0) | - |
Thanks.小児用バファリン
妊娠周期の高温期から服用し始めたオレンジ味の小児用バファリン とも
今日、11月30日(35w5d)でお別れとなりました。。
いろいろお世話になりました。
薬袋には効用や服用上の注意点等、きちんと記載されています。
こういう基本的なこと、大切ですよね。ご参考までに・・・

小児用バファリンから抗血小板剤バファリン81mgに変更になりました。
(2000年2月14日処方〜)

bufferin

shohou



| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:19 | comments(1) | - |
Thanks.カプロシン
胎嚢が確認された4w5dからはじめたヘパリン治療。
24時間の静脈点滴からはじまり、6w1dからは自己注射に移行。

朝晩8時の友だったカプロシンも11月27日(35w3d)で中止。
ご存知のようにカプロシンは血液抗凝固剤なので
血が止まりにくい、という傾向があらわれます。
明日からいよいよ臨月突入。
この時期になると、突然の破水や出血で
急な陣痛→分娩も十分想定されるので
危険を避けるためカプロシンの投与を打ち切るそうです。

カプロシン絶ちして大丈夫かな?とすこ〜し不安だった私ですが
ボコボコのキック攻撃と今日のNSTで
元気な姫君を確認しほっとしました。

「カプロシンさま、長い間お世話になりました。」
ということで、もう一度お写真を紹介します。


chuusha

最後に、Smile流カプロシン注射の極意!
注射針を刺し込む角度はその人の脂肪のノリ具合に寄りますが、
ともかくぷにょぷにょでやわらかいところを狙ってください。
そうすると、全く痛みゼロでフィニッシュできるかも。
クッション等を太腿の裏側に敷いて
超太腿状態(たれパンダみたく)をつくれば
うまく脂肪ゾーンを見つけることができます。
太腿の付け根外側が個人的にはお薦め。
上腿部は堅くなりやすいので避けた方が無難かも。
あと、これもその人の肌の色にもよるのですが
私は血管がほとんど透けて見えるので
(妊娠してからは特にそう・・・人体の神秘図みたい)
血液の網目をくぐって針を挿入していました。
そうすると出血も全くなく、痣もできない!
打ちはじめた当初は痣だらけだった私の両腿も
腕前向上で中盤からはほとんど痣知らずでした。
あぁ〜なんだかマニアックな話になってしまいましたが
コツを覚えれば何てことないです。
カプロシン自己注射を余儀なくされそうな方、
少しばかり参考になさってください!
なお、この件に関してはあくまでも個人的なノウハウなので
その点、ご留意くださいませ。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:16 | comments(0) | - |
「産休に入りました」
11月16日。あいにくの雨模様。

今日から産休に入りました。

10年間勤めた職場を離れる寂しさと、
何とか最終日まで漕ぎ着けた安堵感と
新たな生活への期待感とで
フクザツな心境のSmileでしたが
職場での挨拶は、笑顔でできました。

思いがけない花束や贈物・・・
そして激励の手紙やメッセージに
両手いっぱい、胸いっぱいで会社を出ると
外は細かい雨が降っていました。
しかし興奮気味の私には、
そんな雨さえ気持ちよく感じられて・・・

昨日という一日は、
「そのまんまとっておきたい」って思うぐらい
いい一日でした。

「ありがとっ!」
「ありがとう」
「ありがとうございました。」

もっと大きな声で「ありがとう」が言えるように
気持ちをしっかり持って
妊娠後期を乗り切りたいものです。

| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:14 | comments(0) | - |
出産準備
「出産の準備はすすんでますか?」
「はい・・・ボチボチ・・・」
「ペースあげてくださいねっ」

8ヶ月に入り、なんだか急にしんどくなってきて
ブラブラ歩き回るのも、階段をのぼるのも
だんだん、ままならなくなりました。
助産婦さんが準備を急かしていた理由・・・カラダで納得。
急にバタバタあわてはじめたSmileです。

まずは病院の指示通り(そういうとこ、妙にまじめな私)にそろえた
アレやコレやをかばんに詰め込みました。
入院準備は3度目だけど、今回は実に前向きなパッキング。
サクサクと進みます。
これでいつなんどき入院の発令が下ってもOK!でも・・・
「このパッキングが年末まで解かれることはありませんように・・・」
とココロのなかではお祈りしています。

そして、今しがた通販で購入した赤ちゃん用品が届きました。
肌着もオムツカバーも想像してたよりちいさかったけど
見方を変えれば大きいようにも思えて・・・
だって、胎嚢3ミリからのお付き合いだもんね。

「これが着れるようにどんどん大きくなるんだよっ」
今日、2つめのお祈り。
おなかの姫は強いキックの一撃で答えてくれたのでした。


| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:14 | comments(0) | - |
休暇届
10月、3連休の最後の日。産前・産後休暇の申請書を作成。

いよいよ11月16日から産休に入ります。

ここまで来れた事がうれしい反面、ちょっと淋しい気もします。欲張りかな?

10年近くも働いていればそんな気持ちにもなるもの・・・

あと1ヶ月、体調をととのえて何とか頑張りたいです。


助産婦さんに急かされていた赤ちゃん用品の準備もはじめました。

母子手帳の取得もそうだったけど、なかなかそんな気になれず

次の検診で問題なければ・・・と先送りしてばかり。

でも、もう8ヶ月ですもんね。弱気なことは言ってられません。

日増しに強くなる胎動を感じながら、肝が据わってきた私。

たくさんの人から励ましのメールを頂いて

考えようによってはこんな幸せな妊婦はそうそういないかも?!

「どうもありがとう」


| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:13 | comments(0) | - |
姉貴の出産
9月8日。
同じ病院に通う友人が無事元気な男の子を出産しました。
週末を待って、早速お祝いに駆けつけましたが、
まだ慣れない手つきで赤ちゃんを抱く彼女を見るやいなや、
思わずウルっときてしまいました。

彼女は私が東海大の不育外来に通い始めた頃からの友人で
以来ず〜っと励まし合ってきました。
私と同様に血液凝固12因子が低活性の彼女は
35週まで小児用バファリンを服用しての出産でした。

ひとつ年上で体育会系の彼女は、まさに姉貴といった感じで
不安をストレートにぶつけることができる存在でした。
また彼女の妊娠、そしてその後の順調な経過は
ホ・ン・ト 私の元気と勇気の源でした。
「希望の星」だったわけです。

予定日が近づいてからはまさに他人事とは思えず、
携帯や留守電を何度も確認する毎日で・・・
「一年前のことが遠い昔のことのようだね・・・」って
何だかしみじみとしてしまいました。

私の後から不育外来に通い始めた友人も
最近次々と妊娠をし、心拍も確認されて・・・
この秋は産科仲間が増えそうです。
そうしてお互いの経過をココロから喜び合えることが
たまらなくウレシイ今日このごろです。


| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:13 | comments(0) | - |
何が出来るかな。
ゴロンと寝転がって雲ひとつない秋の空を見ていたら、
ちょうど1年前のあの日を思い出しました。
2度目の流産の後、ぽかんと穴の空いたココロをうめてくれたのも、
そう、このような空でした。
すこーんと抜けた空の青さは私へのエールのようでありました。

季節がひとめぐりし、胎動を感じながら、あの青い空を見上げています。
いろんな人に支えられて、こうしてココロ穏やかに休日を過ごしていますが
私自身、少しは強く、大きく、そしてやさしくなれたのでしょうか?
そしてこれから先、私に何かできるのでしょうか?

HPの副題は「すみれの反復流産克服プロジェクト」なのですが、
自分が克服できればそれでいいのか?
決してそうではない・・・と思っています。
それは何なのか・・・よく考えます。

いつか答えは見つかるもの。
ずっと探していれば、出会えるもの。
それはきっとささやかなことだけど、私にしか出来ないこと。
Smileのつぶやきはまだまだ続きます。

| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:12 | comments(0) | - |
ヘパリン、怖がることなかれ
産科外来に通うようになって3ヶ月が過ぎます。

最近は診察までの時間も緊張をといて過ごせるようになりました。

そんな余裕を持てたからか、
まわりの妊婦さんの話も自然と耳に入ってきます。

昨日は私と同様にヘパリン治療中の妊婦さん数人を確認。

おなかの大きさからすると既に妊娠後期のご様子。

とても勇気づけられます。

「ヘパリン治療は不自由を強いられる、痛い、怖い、できればやりたくない」

正直なところ、治療を始める前の私はそう思っていました。

在宅治療用の小型携帯ポンプ付きの24時間点滴については

雑誌の記事で知ってはいましたが、仕事を持つ私にはとても無理な話。

ヘパリン治療の対象にならなかった事をひそかに喜んでいました。

ところが状況一転。

妊娠とほぼ同時に血液凝固12因子抗体陽性が明らかとなり

恐れていたヘパリン治療のターゲットになってしまったのでした。

一瞬引いてしまった私でしたが、

「できることはすべてやりたい」という気持ちが勝って

ヘパリン隊の仲間入りをしました。

一日2回の自己注射をはじめて2ヶ月半が経ちましたが

注射そのものは慣れてしまえばどうってことありません。

かえって精神安定剤になるぐらいなもんで

「やることやってんだから・・・」と開き直ってます。

待合室の妊婦さんも普通の妊婦さんと何ら変わった様子もなく

前向きに治療に臨まれている印象でした。

実のところ、ヘパリン隊は明るくポジティブなのでした。

(ヘパリン治療の詳細について知りたい方はCLICK!)

 

 

 
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:11 | comments(0) | - |
そろそろ足し算?
もうすぐ妊娠14週目に入ります。
出血もその後おさまり、「つわり」を除けば、体調は安定しています。
精神的にも…と言いたいところですが、実は最近悶々としています。

妊娠してからというもの、仕事も、家事も、気晴らしもセーブしてばかり。
そこに来て「つわり」の襲来!
ますます行動領域は狭まり、あぁ、恐ろしや・・・
「会社・食事・睡眠・注射」が
わが生活の4大要素となってしまったのです。

「仕事との両立」なんていうとちょっと聞こえがいいけど、
その実、どちらともに中途半端な状態で、気持ちもスカッとしません。
「生活のペースを元に戻そう!」などとはもちろん言いませんが、
そろそろ無理のない範囲で足し算をしていかないと、
まずいことになりそうです。

さて思うところあり、31にして「赤毛のアン」を読んでいます。
ほんとにアンには教えられることばかり。
失いかけていたものに息吹きを与えてくれます。
ただ、読んでいて呆然としてしまったことがありました。
書中には樹木や草花の描写がふんだんに織り込まれているのですが、
その風景がどうも想像できないんですよね。
すべては私の知識不足によるものです。
樹木や草花の名前、いくつ言えるだろう・・・
なんだかとてもショックでした。

足し算その1、週末、植物園に行ってきます。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:10 | comments(0) | - |
主治医
私が東海大学伊勢原病院の門を叩いたのは、
1998年2月にさかのぼります。

不育学級への参加を経て、同年11月、不育外来を訪れるまでの経緯は
既に記した通りです。

それまでは外来のたびに担当医が変わっていたので、
主治医がはっきりしたということに、まずはほっとしました。
また不育学級を聴講し、「信頼できる医師との出会い」を確信したので、
他の病院を検討することもなく、スムーズに検査に移りました。

11月から1ヶ月ほどかけて一通りの検査を受け、
異常所見がある項目に関しては再現性を確認するため、
再検査を受けました。

一応の治療方針が確定したのは翌年の1月中旬のこと。

当初は検査結果の報告にドキドキしながらの受診でしたが、
そのうち、さまざまな疑問や不安について率直に尋ねることが
できるようになり、主治医とのコミュニケーションも
うまくとれるようになってきました。

インフォームド・コンセントの重要性を認識したのはちょうどこの頃です。血液凝固12因子に関しても、
最初は何のことやらさっぱりわかりませんでしたが、
主治医の話を聞いたり、自分なりに調べたりしているうちにだんだんと
理解できるようになり、
不育症への漠然とした恐怖心も次第に薄れてきました。

定期的な通院のなかで得たもの、
それは「流産の原因」だけではありません。
その間「医師との信頼関係」、「治療に対する自主性」
そして「次の妊娠へ踏み出す勇気」を育みました。

検査を受けることは、あくまでも治療のスタートに過ぎません。
はっきりした原因がみつかることも、
また、これといった原因が見つからないこともあるでしょう。

私の場合、12因子の低活性については当初より指摘されていましたが、
活性低下を導く原因が見つかったのは、妊娠発覚後のことでした。
不育症の研究も日進月歩です。突然、原因が確定することもあります。
私自身、妊娠4w時の外来でその話を聞き、
主治医とのインフォームドコンセントのもと、
治療方針を急遽変更しました。
このような咄嗟の決断も、主治医との信頼関係が確立していたからこそ
できたのだと思います。

あの時のことを振り返るたびに思います。
はじめての通院もしくは転院を考えられている方へ。

以前にも「病院選び」というテーマで少しばかり書かせてもらいましたが、
いろいろな視点から比較検討し、
ここと決めたら、ひとつ腰を落ち着けて治療に臨まれてはどうでしょうか。

所詮、我々患者は素人です。
いろいろな病院を転々として、あの検査、この検査と受けても、

一向に治療方針は定まりません。ドクターショッピングを繰り返すことで貴重な時間を無駄にしてほしくはありません。
不育症の治療は、無事、出産するその日まで続きます。
一人でも多くの人が、主治医との二人三脚により、
検査、治療、妊娠管理、そして出産へと進み、
笑顔でゴールテープを切られることを望んで止みません。

私もがんばります。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:09 | comments(0) | - |
Thanks. my friend.
昨年、2度の流産をしました。
このことは親友にさえ話していません…

このHPの表紙にはこう書いています。
3月1日に書いたものです。
あれから、かれこれ3ヶ月が経とうとしていますが、
つい最近になって、彼女に事実を打ち明けました。
GW中の私の入院を心配して電話をかけてきてくれた彼女
「大丈夫?」という声を受話器ごしに聞いた瞬間
これ以上ごまかしつづけることはやめよう、と思いました。

そして数日後、これまでのことを話しました。
2度目の流産のこと、
不育症のこと、
そして今回の妊娠のこと・・・

事実をきちんと伝えるだけで精一杯でした。
彼女は時折驚いたような表情を浮かべていましたが
極めて冷静に受け止めてくれたようです。

彼女は会社の同僚でもあります。
「彼女に言えないこと」を抱え込んでしまってからというもの
私自身、無意識に彼女との距離をつくっていました。
なぜなら、嘘をつくくらいなら、寧ろ話さないほうがいい
なんて、頑なに思ってしまったからです。
今はそのことをきちんと謝りたい気持ちでいっぱいです。
そして、そんな私の変化を感じながらも
何も言わずに待っててくれた彼女に感謝します。

明日、このHPのアドレスを彼女に知らせようと思います。
少しばかり勇気が要りますが、
嘘やごまかし強がりとはサヨナラしたいからね。
これを機にもっといい関係が結べるといいのだけど
私の勝手な言い分かな?

Smile  dim. 30 mai '99
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:06 | comments(0) | - |
妊娠・その静かな喜び
妊娠がわかってから早1ヶ月が経ちました。
一度も果たせなかった胎児の心拍を、先日この目で確認し
妊娠の喜びを静かに感じはじめています。
妊娠発覚と同時に続いた出血、そして突然の入院と
不安要素はついてまわりましたが、
不思議と気持ちは落ち着いていました。

信頼できる主治医のもと、適切な治療を受けている、
という気持ちが、何よりの精神安定剤となっているようです。
「ともかく出来る限りのことはやってるんだから・・・」
といつも自分に言い聞かせる毎日です。

それから、
同じ病院に通う仲間のあたたかいの心遣い
私のわがままをいつも受けとめてくれるダンナ
言葉少なに見守ってくれている両親
HPを見て応援メールをくださったあなた
春のやわらかな日差し
目にまぶしい新緑に
ココロから・・・
「ありがとう」

この先も不安はつきものだけど
この不安とうまくつきあっていけたらと思います。
どんなことがあろうと、明日はまた別の日。
今の私には頑張っていける自信があります。
いつかカラダとココロいっぱいに喜べるその日まで・・・

Smile  dim. 23 mai '99
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:05 | comments(0) | - |
ココロのおまじない
Demain est un autre jour.
( 明日はまた別の日である。)

そう刻印された銀の指輪を街で見つけました。

今の気持ちを象徴するモノとの出会いが、やけにうれしくって

思わず衝動買いをしてしまいました。

「ココロを律する指輪」というわけです。

 

お守りと言えば、2度目の妊娠のときは

ダンナがもらってきてくれた安産祈願のお守りを

袋に入れて首に下げていました。

内診台に上る度にお守りを握ってお祈りしたのに、ダメなものはダメ。

流産との診断が下されて以降、お守りは私の首からなくなりました。

結局のところ「苦しい時の神頼み」でしかなかったわけです。

 

今だから言えることだけど、ココロのモンダイって

あるところまでは時間が解決してくれるんだけど

それから先は自分自身で乗り越えていくしかないんですよね。

その方法は人それぞれだと思うのだけれど

私が長いトンネルの先に見つけたものは

Demain est un autre jour.

この一言だったわけです。

だって、今日の私はこんなに元気です。

 

またつらいことになったとしても・・・

このおまじないをココロのなかで唱えて頑張るつもりです。

「神頼み」より「自分頼み」

そんなわけで、この指輪はいつぞやのお守りのように

放り出されることはないと思います。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:04 | comments(0) | - |
ココロのもんだい
昨日、インターネットを通じて知り合った友人2人と会いました。

3人ともに同じ病院に通っているということもあり、

古くからの知り合いのように打ち解け、いろいろな話をしました。

実際のところ、私が一番の意気地なしのようで、

なんだか、励まされてばっかり・・・という感じでしたが、

しっかり元気の源を分けてもらって帰ってきました。

「ココロのもんだい」についてもいろいろ尋ねてみました。

当然ながら、ココロの修復の仕方は人それぞれ。

目からウロコ的な解決法に遭遇することがあります。

友人の一人は、2度目の流産の後、いろんなモヤモヤを吹っ切るために

富士登山とマウンテンバイクのレースに果敢に挑んだそうです。

私なんか、とても思いつかないような方法です。

暖かくなったら、山にひと登りしてみようか・・・という気になってきました。

ほんと、気合の入ったココロ逞しい人です。

もう一人の友人は、これまた非常にココロが大きな人で、

彼女から愚痴の類いをほとんど聞いたことがありません。

いつも冷静で、かつ穏やかで、そしてやさしくて

どんな時にも前向きに物事を考えることができる人。

そんな2人は私の大切なココロの相談相手です。

そんな2人に触発されてか・・・

今日は久しぶりに海まで散歩に行きました。

玉砂利の海岸に腰を下ろして、何にも考えずに

寄せては返す波をずっと見ていました。

何も考えない、無為の時間を作ることも、

実は結構いい、ココロのリハビリかもしれません。

 

 
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:04 | comments(0) | - |
ココロのもんだい その
最近ようやく次の妊娠を前向きに考えることができるようになりました。

2度目の流産が去年の9月のことですから、
かれこれ半年経って漸くという感じです。

妊娠への恐怖が全くなくなったわけではありませんが、

自分なりの覚悟ができたというか、

とにかく前に進んでみよう、という気になりました。

 

何が怖いのか、少し冷静に考えてみました。

また流産してしまったら・・・と考えると不安になるわけです。

子宮内除去術が怖いのか?

確かに嫌なものですが、身体のためには仕方がないと思えるし、

処置自体は耐えられぬ苦痛を伴うものでもありません。

言葉にするのはとても難しいのですが、

それは頭のなかで納得がいくことです。

では何をそんなに恐れていたのか?

それは、当時の心理状態にまた陥ってしまうことが一番恐かったのです。

泣いてばかりで笑いを忘れた私に戻るのが怖かったのです。

私の「ココロのもんだい」です。

 

最近、今の私は以前の私とは違う、と思えるようになってきました。

万が一、同じような結果になったとしても

違う対処の仕方ができる気がします。

「流産」を我が身に振りかかった最大の不幸・・・

と思っていた頃から比べると

随分、客観的に考えられるようにもなってきました。

半年もかかったけれど、私にはそれだけの時間がどうしても必要でした。

支えつづけてくれた家族と

いつも勇気づけてくれる不育外来の仲間と

そして、信頼できる主治医の先生に恵まれながら

ここまで来るのに半年です。

逆境に弱くって自分でも情けなくなりますが

「転んでもただでは起きないゾ!!!」と日々自分に言い聞かせています。

自分との闘いはまだまだ続きそうです。

 
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:03 | comments(0) | - |
ココロのもんだい その
産後、身体の方は日、一日と着実に回復し、

生理を喜びで迎え、そして元のリズムへと戻っていきます。

そういう意味では、身体は実に機能的にできているものです。

前かがみにおなかをかばいながら歩いていたのが

いつのまにか自然に駆け出すようになり

身体の回復にハッと気づいたりするものです。

ところが・・・ココロの方ですが、それはそれは厄介なものです。

私の場合、退院早々「外に出たくない病」を患ってしまいました。

子ども連れ夫婦やおなかの大きな妊婦さんが正視できない・・・

目にした途端に気がふさいでしまう…困ったことです。

厄祓いに神社に出かけたところ、お宮参りの家族連れと一緒になり

縁起でもなく、
御祓いの最中にぽろぽろと泣いてしまったこともありました。

外に出てもぽろぽろ、家の中でもぽろぽろと

涙とため息の連続で、すべてを悲観的に考えてしまう毎日。

自分がこれほど逆境に弱いとは、思いもよりませんでした。

そんな状態が1ヶ月以上も続きました。

そんななか、ひとつの大きなココロの支えとなったのが

同じ経験をした人達とのインターネット上でのコミュニケーションでした。

不妊・不育症関係のメーリングリストや掲示板を通じ

一人、二人とココロを寄せ合う仲間ができ、

とりとめもなくメールを交換するなかで、
たくさんの元気を分けてもらいました。

この不思議な連帯感の上に成り立つコミュニケ-ションがなかったら、

今の私はきっとなかったと思います。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:01 | comments(0) | - |
病院選び
病院選び。すべてはここからスタートします。

病院を渡り歩くことにならないためにも、
ここはひとつ慎重に行いたいものです。

まず、不育症の専門医がいる病院をリストアップする必要があります。

首都圏でさえ、専門医がいる病院はそう多くはありません。

本や雑誌そしてインターネットなどから広く情報を収集し、
よく検討することが大切です。

病院へは検査、治療、そして妊娠後の検診と頻繁に通うことになります。

無理なく通院ができるか、ということもきちんと確認したいですね。

病院が決まれば、次に気になるのが先生との相性でしょう。

しかし相性よければすべてよし、ということではないと思います。

適切な検査・治療を受けているか、
客観的に判断する冷静さも、時に必要だと思います。

また検査や治療に関する疑問は持ち越さず、
納得がいくまで尋ねることも大切ですよね。

誠意を持ち診察にあたっている先生なら、
患者の質問を無下にすることはないと思います。

質問をしたら先生に怒られた・・・という話を時々耳にしますが

インフォームドコンセントの重要性が叫ばれるなか

「医者の言うことに黙って従え」というのもおかしな話です。

例えば、副作用もよくわからないままに薬を飲んだりするのは
とても不安です。

自分の身体のことです。

びくびくしたり、恥ずかしい、などと思わずに
疑問に思うことは積極的に尋ねませんか?

もちろん患者としても、
要点をまとめて質問することを心がけたいものです。

流産を繰り返した者にとっての妊娠には大きな不安がついてまわります。

無事出産するその瞬間まで、その不安は続くことになるでしょう。

精神的に不安定になることも多いかと思います。

だからこそ、皆さんが信頼できる医師のもと
不育症を乗り越えられることを願っています。
| chezsmile | Smileのつぶやき | 00:00 | comments(0) | - |

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